「 せっくす。 」/PULL.
度も殺されかかったが、
やはり酔うことはなかった。
表情を覚えたのは、
まだ幼い頃。
笑った顔と笑っていない顔、
そのふたつしか表情を知らない。
これはただの容れ物。
いつも中身は冷たくて、
震えることも波打つことも、
知らない。
何人かと体を重ねて、
そのすべてと別れてきた。
相変わらず中身は冷たいまま、
ふりをするのを覚えた。
酔ったふりをするは、
とても悲しい。
容れ物を見る女の目には、
おれは映っていない。
求められるままに、
せっくすした。
いくつもの肌を知り、
いくつものせっくすを覚えた。
せっくすのもうひとつの意味を、
知らなかった。
はじめてせっくすしたい女は、
煙草の嫌いな女だった。
女はせっくすに、
もうひとつの意味がある。
そう教えてくれた。
もういない。
煙草を覚えるよりも早く、
きみを覚えたかった。
了。
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