死体観=廃墟観についての考察/朽木 裕
して廃墟となり生きることとなるのだ。
ここで話を戻したい。死体観=廃墟観の話である。廃墟と云うものは、きちんと用途を果たしていた頃に比べ死んでいる。けれども死にながら存在している。いわば死体としての存在である。廃墟にとって本当の死とは解体なのだろう。
廃墟として長らく生きてきた砦の解体のその瞬間。
クレーンの一振りは砦に本当の意味での死を与えた。
一度目の死に私は心惹かれ、二度目の死に私は恐れおののくのである。死んでも尚、存在し続けるとは一体どのような状態なのであろう。また二度目の死とは。まだまだ考え続けていきたい。
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