銀色の夏に生まれて/窪ワタル
囚われたままだったかも知れないからだ。銀色夏生氏から離れたい一心から、私は、私の書きたい「詩」の原型を模索することが出来たし、少しでもましな「詩」を書くために、不十分ながら学びもしたのである。思春期に彼女の作品に感じた違和感と反発こそ、私のエネルギーだった。今でも、書店や図書館で彼女の詩集をよく見かけるけれど、相変わらず売れているらしいことを、密かに嬉しくおもっている。
私は、もう昔ほど「ポエム」が嫌いではない。「ポエム」にも、良いとおもえる作品もあることを知ったし、現代詩でも、あまりに新奇なもの、難解過ぎると感じるものを、私は好まないのだとも気がついている。
「詩」は、自由なのだ。本当は「ポエム」も「現代詩」も優劣などない。詩人も、そして読者も、自分が書きたいものに向き合い、読みたいものを愉しめばいいのである。
「詩」を書くことは、私にとって、決して簡単でもないし、お手軽でも楽しくもない。ただ、書きたいと云う欲望と、この自由な文芸の魔力に魅せられてしまったものとして、私は書き続けて行くだろう。たとえ振り向いてくれなくても、もう嫌いになったりはしない。
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