嘘つきは詩人の始まり(下書きよりの抜粋)/窪ワタル
 
質と否応なく対峙せざるを得ない場合が多々ある。そういう時のことを、本音とか本当の気持とか云うならば、そういえなくもないが、本質的にはそれは架空のことであり、空想であり、嘘である。詩が本当のことを書くものだと誤解されるのは、言葉を使って、言葉にならないナニモノカに向かい合ったその過程が、読者に伝わるからなのだろう。だが、それはあくまで結果でしかないのだと、詩人の側は分っておかなければならないとおもう。

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