誰か私たちの行いに何か正しい名前をください/山田せばすちゃん
体言止めです、ここはこれこれの比喩ですなどと、技術の解説らしきものを受けた覚えはあるのだけれど、「詩を書く」演習において技術指導なんてされたことは一度もなかったぞ、むしろ、「気持ちをそのまま素直に書くことが大事です」なんておよそ技術論とは正反対の、つまりは大正デモクラシーこの方の「生活綴り方」運動みたいなドグマをいっぱいに受けていたような気がするじゃないか。しかしながら詩の技術を習得するチャンスを得られなかったことをおよそ学校教育にのみその責を負わせるわけにも行くまい。やい、戦前戦後を通じて詩壇とやらを引っ張ってきた幾多の先達たちよ、あんたたちは一体、ろくでもない状況論以外に、詩の技術に触れた詩論なんぞと言うものを、只の一冊とてこの世に残してきたか?詩に技術が必要です、だなんて誰か言ったやつがいたか?
しょうがないので、左翼体験の挫折というとんでもないトラウマを抱えながらも人民啓蒙主義だけは骨の髄まで染み付いたような俺は、技術論からの批評を目指すのだ。
誰か私たちの行いに何か正しい名前をください。
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