TO SEE IS TO LOVE./大覚アキラ
 

そういう“好き=見つめていたい”気持ちを、ずーっと同じテンションで維持するのは、それはそれでエネルギーが要ることだったりもする。当然、気が変わって嫌いになることだってあるし、そこまでではないにせよ、飽きがくることもあれば、テンションも下がることもあるでしょうよ。
“好き”という感情が日常化して、自分の中でスペシャルなものではなくなってくると、人はいつしかその対象を“見なく”なってくるものだ。字義通り、“見なく”なるのだ。

サボテンが枯れた。いや、正確には枯らしてしまった。すごく気に入って、一目惚れして買ったのに。買ってからしばらくは、毎日のように飽くことなく眺めていたのに。いつの間にか、ぼくの心の中で、そのサボテンが好きだという気持ちがスペシャルなものではなくなってしまい、日常的な諸々の些事に埋もれてしまった。そして、ぼくはサボテンを“見なく”なってしまっていたのだ。
ごめんな、サボテン。

そんな風にして、ホントは大好きだったり大切だったりするのに、いつのまにか“見なく”なってしまって、気がついたら失ってしまうものって、意外とあるような気がして、なんだか怖い。
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