アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
 
うのかもしれない。いつも「そんなこと」を考えているらしいから、「下から覗き込んでいる誰か」は「僕」にとって常連さんなんだろう。あるいは、「そんなこと」というのは、もっと限定しない言い方で、今日は偶然下から覗くひとという形をとったに過ぎないのかもしれない。明日はひょっとしたらテレビから覗いてくるかもしれないし、あさってはひょっとして井戸から覗いてくるかもしれない。そんなふうに、「そんなこと」を広く捕らえ始めると、僕達についてもそんなに限定する必要があるのだろうかと思えてきて、

僕達=僕+一般のひとびと

というふうな感じの呼びかけになってくるんじゃないだろうか。僕達のヒーロー、というときの
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