アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
のこだわり。そしてこの、「覗き込んでいるのなら」と、次の行の「そんなことを考えるとき」のつながり方は、ちょっと意表をついていて、読み返さないといつもよくわからなくなる。そういう意表のつき方。それから、最後の「いつも思う」というのも、いったい何を思うのかをふつうの順序ではかいてない(倒置してある)。しつこいけどもう一度まとめると、「そんなことを考えるとき」において、まさか前までの内容が「考える」の目的格になっているだろうなんて思わないまま読者は読み進め、「そんなことを考えるとき」という文にたどり着いて初めて、ああ、いままでの文章は客観的な文章ではなく主観的な文章だったのだ、と認識するだろう。重要なの
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