繰り返すものたち/生得(こもん氏の作品について2)/渡邉建志
独特というよりも生得と呼びたい何か備わった体温のようなものを持つ言葉を放つ人たちがいる。まるでピアノの一つのキーをおさえただけで、その鍵盤楽器のメカニックな一見の単純さにもかかわらずその人がおさえたと分かってしまうピアニストがいるように。ここに並んでいるのが31文字に過ぎないとしても、もっといえばひらがなにすぎないとしても、それが一つの生得のものに。ひらがな、ひらかな、平らかな、でもかならず少しのまるみを持って はてなの線をなぞるように。声が聞える。ここには声があり、ここにはかつて読まれなかったはずの声がはっきりと聞こえてくる のではないだろうか、あしたははれる あしたははれるの声が聞えな
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