詩について/大山猫
しさを禁じ得ない、無謀な賭博である。そして、伝え得ぬことさえ伝えようとすることは、一つの無際限な暴力たり得る。
それでもなお、詩が書かれ得るのだとすれば、それは物語の外への架け橋、言葉の限界そのものであろう。詩は常に向かってゆく先を知らぬという仕方で向かってゆく。従って、詩が形式として中途半端で、或る意味で好い加減で、余白という無駄の多い代物であるのは、それ自体の固有性によるのであって、その様な意味で、詩は常にふざけたものである。
詩は言葉に反抗する訳ではないが従う訳でもない。人が言葉の代理としてではなく、人として言葉に関わる限り、其処には常に詩の可能性がある。
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