小説の習作 原稿用紙三頁 #16/田中教平
 
であったから、完全にじぶんの、作品を閉じた形で書いて、新潮、の雑誌はとっていたから、新潮の新人賞に応募した方が、良いのではないかと、考えた。
 と云うのも、彼は彼より若い詩人や作家と交流してゆく内に、彼らとじぶんの中に、確固とした一枚の膜が貼られている事に気づいて、それは一言で云えば、コンテンツ意識、であった。
 ユウスケはただ、日々のあらましを思いかえして、私小説に、なっているのか、なっていないのかすら、わからないから、習作と銘うって黙々、書いていたのであるが、それが作家の矜持なり、思想性の話になると、彼は全くのデラシネであった。コンテンツ意識と共に、そもそも彼は小説に関しては稲垣足穂の「弥
[次のページ]
戻る   Point(2)