人間の暴力的残虐性は詩に現れる/三浦果実『ディアハンター』/室町 礼
 
くんだ

さて、これをどうせよというの? と少しは詩を書ける人、
読める人なら、途方に暮れるでしょう。
比喩や象徴、あるいは転換──つまり語りの飛躍がほとん
ど存在しないからです。
アレゴリー(寓話)として書いたからといってそういうも
のが必要ないわけじゃないのです。寓話は「隠された意味」
ではなく、表と裏の物語が同時に生起して互いに連動して
動いていくから寓話なのであって、鹿=無垢、狩人=暴力、
子ども=犠牲、召集=戦争の不条理といったわかりやすい
貸し借り対照表ではないのです。このアレゴリー詩?は、
全部が状況説明と説明的叙述で構成されている。だから、
読み手としては
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