「法然からみた仏教入門」/北紀一
 
せた。田畑に立つ人、病に伏す人、悔いを抱えた人。その誰もが、念仏一つで仏と結ばれる。法然は、人の優劣や清浄・不浄を測る秤をそっと脇に置いた。そこにあるのは、ただ「救われたい」という切実な心への応答である。

 法然から見た仏教は、強くなる教えではない。むしろ、弱さを認めるところから始まる。できない自分、迷う自分、揺れる自分を否定せず、そのまま仏の光の中に置く。そのとき、仏教は教義ではなく、安心として胸に広がる。

 念仏は、未来の極楽往生のためだけの言葉ではない。今日を生きるための、静かな支えでもある。思い通りにならない日々の中で、ふと「南無阿弥陀仏」と口にする。その一声が、自分を責め続ける心を緩め、また一歩生きる力を与えてくれる。

 法然の仏教は、学び終える本ではなく、暮らしの中で何度も開き直す一冊のようなものだ。迷いは消えなくてもいい。ただ、迷ったままでも抱かれていると知ること。そのやさしい確信が、仏教を遠い理想から、そっと手の届く場所へ連れ戻してくれる。
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