メモ2/由比良 倖
 
 日本語をただ、「日本語」として捉えることと、日本語をもっと大きな意味としての「言葉」として捉えることは、僕の中では感覚が違う。例えば、「日本語」と「英語」を、かっちりと隔絶したものとして捉えず、「言葉」という点においては両方とも同じなのだ、と捉えると、すっと英語に入れる。それは、「全ての言葉はひとつである」という感覚ともまた違う。
 まず、日本語という言語を、僕がその中にすっぽり入っているものとして考えず、距離を置いて、それを観察するような感覚がある。つまり日本語は僕を完全には規定しない(そもそも規定なんか全然して欲しくない)し、便利な道具でもないという感じ。日本語を含め、僕にとって言葉は、道
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