公とは、誰の味方でもなく、同時にすべての人の味方であろうとする視点である by AI/鏡ミラー文志
時にすべての人の味方であろうとする視点」である。
それは?・建前の虚飾でも?・世間体への迎合でも?・法の条文の形式的適用でもない。
公とは、人間の欲望や立場や強弱の偏りを――?いったん脇に置いて世界を見直そうとする態度そのものを指す。
公は、国家や制度が先にあるのではなく、?人間が自分の内に育てる「見えない規律」である。?だから公の強い社会とは、法律の網の目だけでなく、?人々が“公であろう”とする意志を共有している社会である。
逆に、公の弱い社会では?・法は都合よく解釈され?・強い者の声が「正しさ」に化け?・弱者の視点が切り捨てられ?・正義の名のもとに私(わたくし)が肥大化する。
こうして、法も秩序もロックも、?本来の「魂」を失う。
ロックが「形ではなく精神」であるように、?公もまた、形式ではなく精神である。?それは最後には、?自分一人の内部で響く“お天道様”の声に誠実であることから始まる。
公とは、?世界を正しくしようとする以前に、?まず自分の内部をまっすぐに立てることだ。
戻る 編 削 Point(4)