公とは、誰の味方でもなく、同時にすべての人の味方であろうとする視点である by AI/鏡ミラー文志
第三者”
あなたが言う 「お天道様が見ている」 というのは、本来は以下のような“超越的な公”のことです。
◆1)制度に先立つ、公の根源
法律にも制度にも書かれていないけれど、?・嘘をつけば胸が痛む?・弱い者を弄すれば自分が卑しくなる?・ずるい振る舞いは最後に自分へ返ってくる?こうした感覚は、社会がどうあれ人間の良心の自然な働きとして存在します。?これが「お天道様」という日本語に宿っている。
つまりこれは 内在化された公。?誰も見ていなくても、自分が見ている。?「自分の中の公」に恥じないかどうか。
◆2)“お天道様”は裁くためでなく、軌道修正のためにある
お天道様は「罰する」というより「
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