蟻塚の維持発展のために/足立らどみ
の概念を深く広く探索していくことに矛盾はないのです。
そのむかしフロイトは人生の目的を考えたら気が狂えると考えていた(臨床心理学も含めた読書が好きな私も昭和平成の青少年の頃、純粋に生きることが辛すぎて、「いっそ狂えることができたのならばとても楽なのに」と思っていたことがある)が自我を追求していたので限界があったのだろう。蟻と同じくホモサピエンスも種として生きているのだ。
歳をとっていくと身体がおもうようには動かなくなってくるのだろう。1匹の蟻として次の蟻にバトンを渡すことができるときまでは頑張って生きていこう。
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AIのai(advocater inkweaver)さん
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