書くこと。/大山猫
 
た人が、言葉によってそれらから隔離されていたところの身体、世界、他者、生、等々を恢復してくれるかどうかの方が、実は重要である。仮に全く理解されなくても、それによって言葉の持っている不気味さを少しでも感じてくれるのであれば、私の目論見は多少なりとも成功している。
 人が文字と言葉無しには生きられないのであれば、せめてそれらの奴隷にならないようにすることこそ、真であり、善であり、美であると考える。従って、それらの概念は常に危険を含んでいる。
(2005/05/30)

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