「言葉にならない沈黙」/足立らどみ
を持てない」と思う人がいたとしても、
その人が「でも、誰かにとってそれは真実なのだ」と感じられるなら、
橋はかかる。
逆に、郷愁に生きる人が、
「この人は“帰る場所がない人”として生きているんだ」と思えたら、
その瞬間、溝は風景になる。
?
? だから詩は何をすべきか?
詩が「橋そのもの」になることは難しい。
けれど、橋の“手すり”のようなものにはなれると思います。
あなたが言ってくれたように、
「風の音に耳を澄まし、雨傘の中で深呼吸し、太陽に感謝する」
??これは、“溝の上で立ち止まる者の姿勢”です。
そして、その姿をそっと見せること。
それが
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