声の償い──カヴェルに寄せて/大町綾音
 
にあったことを
どうして証明できる?

私の耳は開いていた
でも、
耳の奥の沈黙までは
聞いていなかったのかもしれない

私は「聞く」と言った
あなたは「聞いていない」と言った
そして、
そのどちらも、
正しかったような気がする

ウィトゲンシュタインの影のなかで
ふたりはチェスをしていた
言葉のコマを動かすたび
盤面の上の沈黙が
わずかにゆらいだ

「あなたが痛むとき、
私はそれを、
まるで自分の痛みのように受け取る」

その一言が、
懐疑を沈めることがある
でも、
そうでないこともある

だから、私は問いつづける
声はどこまで届くのか
映画の画面の向こう、
笑いの底、
再婚の沈黙のなかへと

それでも私は語りかける
「私はここにいる」と
「あなたが、そこにいることを
信じたいの」と

承認されるとは、
応答されることではない
でも、
応答が来ない夜に、
言葉を灯すこと──
それが詩であるのなら

私は今日も書く
届かなくても、
かすかに揺れる、
あなたのほうへ
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