自我の定立と詩?/大町綾音
◯ひだか……
こんばんは♪
ちと閃いたので、以下走り書きにて。
僕が、能動態/受動態 と言ってるのは、
意識が肉体に依存して居るのかしていないのか、
その違いなのですね。
で、言語行為が意識的であれ無意識的であれ、
Isayを伴ってるてことは了解出来ます、画期的明瞭に
けれどもそれそれら、外からの刺激からでしか覚醒しない今の人間の意識からどれだけ独立した行動たり得るのでせうか?
内から自らのチカラによって呼び起こす何らかのイメージ(感覚的知覚享受を排除したイマジネーション)は、日常言語行為レベルに留まる限り、やはりいくらIsayだと明言しても不可能
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