気狂いになりたい人へ/秋葉竹
のは、まさしく『あれ』
こそを書くために
書いているのじゃないのか?
なぜ?
悲しみにばかり
ひとのこころは
動かされるんだろうね?
詩人ていうのは、
あんな言葉を吐くために
くったらない文脈やら
お涙頂戴のテクニックやら
考えて
書いてんだよねぇ?
心のなかの奥の奥
じぶんの最後のためらいを
さいご
『いっそ、狂ってしまいたい』と嘆いた
彼がなにを
述べているのか
彼が
おのが赤裸々の身内のことまで
『詩』にしていることを
ゴリゴリに理解できれば
その切なさに
ふと
筆が止まるよ、
なぁ
オレは
あれほどの想いを言葉にできないというのに
なぁ、オレよ
オレは
このくっだらないふざけた世界のかたすみで
詩、
などをしずかなまっすぐな目で
さみしいおちゃらけたあたまで
書いていても
よいのだろうか?
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