生活があれば、SNSで反応がないぐらいで荒れない/鏡文志
は常に作品にも現れていると思う。濁点を抜いて清音だけで会話するとぎこちなく人工的な会話になる。しかしそれが面白いのだ。生のダラダラ喋りのようなとんねるず的なものは私には合わない。なにか工夫のような文明的な理知的なものがないと疲れてしまうのだと思う。
「2023年前半期、精神病棟記述詩」
今、この瞬間、誰かと誰かがkissをして
今、この瞬間、誰かと誰かが殺されて
今、この瞬間、誰かと誰かがアイスクリームを舐めている
今、この瞬間、誰かと誰かが皿を洗い
今、この瞬間、誰かと誰かが蕎麦を茹で
今、この瞬間、誰かと誰かがお茶を飲んでいる
私がなにをしても世界は変えられない。
ただ、風が吹き、雨が降り。雷が鳴る。
ただ血が吹き出、ただ血が止まり、ただ目に涙する。
私は世界をコントロール出来ない。
善きにせよ、悪きにせよ、変えたいと思わない。
私は全能の神でいるより、風に揺れる木の葉でありたい。
寒空の下、揺れる木の葉が、存在の小ささと儚さを教えてくれる。
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