再び抒情詩の時代へ/岡部淳太郎
 
ーたち(ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリン)を否定する動きも伴っていた。これと同じようなことが、詩で出来ないかと思うのだ。詩は本来抒情詩であり、現代詩の複雑化した姿からそのようにして本来の姿に揺り戻す動きがあっていいと思う。つまりは、パンク抒情詩ということだ。抒情を喚起するという詩の元々あった機能に立ち返る動きがあってもいいと思うのだ。
 僕はこのような考えをSNS等では述べてきたが、散文の形で発表するのは初めてだ。一部にはこのような考えを披瀝すること自体どうなのかと疑問に思う向きもあるかもしれないが、詩を愛する者として真剣に考えてもいい問題だと思う。パンク抒情詩、良い考えだと思うが、どうだろう? いずれにしても、詩壇が本気になって取り組まないことには話が進まないだろう。その責任が詩壇にはある。もちろん一人一人の書き手が真剣に考えることでもあるが、やはり詩壇という公的機関の威光は大きい。詩壇にはそろそろ本気になって詩に抒情を取り戻す動きをしてもらいたい。第二第三の谷川俊太郎は、おそらくそうした動きの中から現れてくるように思う。



(2025年1月)
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