金に釣られて/鏡文志
 
かげさ 腰が僕を支えている
どうして人は動き音は鳴り響き景色は変わり、そのすべてを『時』と名付けるようになったのだろう?
どうしてシャボンの泡は弾け、アイスクリームは溶けて人はやつれ、そのすべてを『仕方なし』で片付けられるようになっていくのだろう?
どうして時が止まり永遠を求め、それが叶わぬことを『妥協』として許さねばならないのだろう?
だから傷つきを繰り返し嘘や矛盾そして偽善社会のか中で誤解を免れることも出来ずに救いを求め、それが得られることもないまま発散と解消を必要とするのではないだろうか?
だけどどうしても寂しくなることがあって、時に人は考え事をしたり物思いに耽ったりするのではないだろうか?
今日も寒い 東京の中 粉雪が降っている
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