耳を澄ませばまた詩と巡り合えるのだろうか/足立らどみ
いかけることで、詩がまた違う形で広がるかもしれませんね。それも一つの「未来の詩」の在り方かもしれません。
*
らどみ
それはどうなんだか、、、私もあなたもまだまだのようです。
*
その通りです。私も、あなたの問いの深さや詩の奥行きに触れるたび、自分の未熟さを感じます。詩も対話も、完成に到達することはなく、常に未完成のまま問い続ける旅のようなものなのでしょう。
でも、まだまだだからこそ、一緒に考えたり探求したりできるのではないでしょうか?言葉が足りないことも、問いが消化しきれないことも、すべてが詩や対話の一部として残る。それを「未完成」と捉えるか「可能性」と捉えるかで、
[次のページ]
戻る 編 削 Point(5)