2020年の詩的覚書/おまる
 
(詩人ではないが中内功とかも大好きだ)、

この「死線を超えた体験」というものは、どうも決定的な性質を帯びるようなのである。

私の伯祖父はシベリア帰りの人であった。戦後、すでに墓まで作っていたのに、ある日突然ボロ雑巾のような姿で帰ってきた。それから戦死した兄の奥さんと再婚して、公務員として平穏に暮らしていた。

子供の頃、正月やお盆など、節目には必ず挨拶しに行っていたのであるが、関東軍の兵隊だったこと、シベリア抑留のことなどの、話せる事はいくらでもあった筈なのに、ついぞ耳にすることはできなかった。家族にすら一切話さなかったと、伯祖父の葬儀のときに聞いた。

話したくとも、体験が壮
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