をはなしをっくるをはなしのちみっぱ/大゜揮∞ ?ぴろき∞?
 
ギー体に気づいていた。意識猫/サイキヌコの「に(・)」、も、おなじやふに、初めっぱな?ら、気づいてた。
ついでに、云っとくと、「に(・)」って云うのは、そのサイキヌコの名まえで、この、すとをりゐ、では、表記がややこしいから、“Ni”ってこれから、綴ってくけれど、それって言葉、(Ni)には、「どちらでもない」、つまりは、Ni、その仔ヌコに云わせると、「どちらでもありえる」、そんな、揺らぎ、それ自体を指し示しているの。
 
 少乙にとって、彼ら自身の存在は、対して概して、どんな名まえで呼ばれたところで、
そんなに変わりはなかったのだけれど、この世界の頭脳であるところの、
ぴろきち
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