詩の日めくり 二〇一五年十一月一日─三十一日/田中宏輔
 
あるという前提でのものであるが、そもそものところ、本物の記憶というもののなかに、非現実の、架空の要素が潜んでいたのだった。というか、それは潜んでいたのではなかったかもしれない。というのも、記憶の少なくない部分が、現実の視覚が捉えた映像によるものではない可能性だってあるのだから。スタンダールの『恋愛論』のなかにある、「記憶の結晶作用」のことが、ふと、頭に思い浮かんだのであるが、自分がそうであった姿を想像して、自分の姿を、自分が見た光景のなかに置くのではなく、自分を、また、いっしょにいた相手を美化して、あるいは、反対に、貶めて記憶している可能性があるのである。というか、自分がそうであった姿を、そのまま
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