詩の日めくり 二〇一五年十一月一日─三十一日/田中宏輔
、ごくささいな考察であるが、できてよかった。とはいっても、これはまだ入り口であるようにも思う。自分が見た光景のなかに自分の姿を置くという「映像」がなぜ記憶として残っているのか、あるいは、記憶として再構成されるのか、そして、そもそものところ、自分が見た光景に自分の姿を置くということが、頭のなかではあるが、なぜなされるのか、といったことを考えると、かなり、思考について考えることができるように思われるからだ。ぼくが詩を書く目的のひとつである、「思考とは何か」について、『13の過去(仮題)』は考えさせてくれるだろう。ぼくの記憶は、ぼくが見た光景のなかに、その光景を目にしたときのぼくの姿を置くということで記
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