祝祭/kaz.
前にもあったことだからだ。以前にもあったことが永劫回帰してまた起こるのだ。こうしてすべてはもう一度捜索され、目が、肉眼が発見された、しかしこの肉眼においては何一つ見る能力がなかった。すべては現れであってそれ以上とはならなかったのだ。ここで少し休憩しよう、読み手の理解が追い付かない。いいや、正確には書き手ですら何を喋っているのかわからないのだ。
朝日立ち上る頃に
ぼくらの理解は限界に達する
(ここで「理解」を「理性」に置き換えても構わない)
ぐらぐら、沸点に達したぼくたちの理解は
蒸発する、
朝日の現れとともに!
・そしてまた、祝祭
頼りなさげな肩を
叩くぼくの
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