接続詞が足りない。/竹森
 
たと嘆く、精神にとって音楽を聴くという事が自らをシュレッダーにかけて擦り減らさせる事を意味しているのだとしたら、先に裏切ったのは肉体の方だと精神は音楽を求めながら主張していたのだろうか。その隙間を、矛盾を、誤解を、時間的差異を埋めているのが僕なのだとしたら、疲労という名の僕なのだとしたら、休息の対義語なのだとしたら。

 僕はここにいる。僕はここにいない。僕は生きている。僕は生きていない。死者に囲まれながら。生者に囲まれながら。かつて初恋の女の子を陰で眺めながらそうした様に、生活がもたらす風景から抽出した類似を結んで不細工な星座を創っては破壊される瞬間だけを待ち望んでいるんだ。それは誰かの耳に
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