カツの思い出/ドクダミ五十号
 
私の育った施設ではカツと言うとくじらだった。
ごはんと言うと麦が半分以上混ざった灰色に変色したものだった。
米軍が施設に寄付したので、パンは多かった。
長い卓に全員正座してパンを喰らう様は奇妙だったが、くじらのカツの
獣臭さとウースターソースと粗悪なパンが以外に合うのだった。
味噌汁の実は自分達が育てた野菜。くじらをサンドしたパンにあうわけも
なく。年に一回真っ白いおまんまが食卓に並ぶ。正月だ。
それは古々米であったが贅沢品で、鯛味噌と海苔とたくあんで
泣きながら食う者も居た。高度経済成長期の落とし子。
出稼ぎから帰らないおとうを待って、それが願わぬ望みで、関東の
施設に。元は
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