(批評祭参加作品)お姫さまのキスを返せ/いとう
 
あたりまえである」のではなく、この世界ではお姫様に男根があるのが「あたりまえでもなんでもない」のだ。
 お姫様の男根に囚われることはすなわち、作品を硬直させることに他ならない。囚われるのであれば、お姫様の男根にではなく、お姫様自身に囚われるべきであろう。少なくとも作者は、お姫様の男根に象徴される自由性・解放性ををメインに見せたいわけではないはずだ。作者の意図は別の場所にあって、そこを読み取らなければ、この作品の深遠は見えてこない。
 
 読者として、そこで満足してしまうのは、あまりにもったいない。一歩踏み込めば扉が開かれるのに、踏み込み方を知らない、あるいはそこに扉があることに気づかないのは、とてももったいない気がする(あくまでも作者としてではなく読者として)。読者は作品に対して我侭であると同時に謙虚である必要もあると、時々思う。その謙虚さは作品への礼儀にではなく、“我侭でいる”ことの自負につながっている。
 


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