品川港で考えていたこと/番田
ろう。それはあまり、誰にも問いざたされてこなかった問題でもある。ところで、自分の頭の中に日本語が刷り込まれていったのはいったいいつ頃なのだろう。例えば、まだ幼い子供同士の会話を聞いていると、少ない語彙の中で必死でイメージを膨らませているという様子が見て取れる。そこで小学一年の頃の国語の教科書を開いてみると、まるで絵本のような言葉が最初には並んでいたりする。(僕は昔から、勉強が苦手な子供だったが…)そうなのだろう。例えば中学一年で開いた英語の教科書も、外人からすれば絵本のような印象なのかもしれない。それにしてもあれほど必死で勉強してきた英語も、海外に出ると全く役に立たないスキルなのだというのがよくわ
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