ディスプレイの中の私/番田 
 
び割れた路地の壁ばかりがやけに目についた。評論家が人の注意を引くようなことを言うことができたのはいつの時代の話しだったのだろう。今では誰の言う言葉も説得力を失ってしまった。神田では、格安の古本が人の行き交う店頭のワゴンセールとして売りに出されている。あらゆる文章や書籍が電子化される動きが広がっているのかもしれない。考えてみれば、書籍だけではなく、何もかもがそうだった。しかし、電子化されたような文章にどれだけの読む価値があるのかどうかまではわからない。その多くは必要のない作品ばかりであろう。まだ踏み入れたことのない遠い異国の地で書かれた文章の方が、歴史的重みを持っているのは言うまでもない事実なのである。



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