正月の街の幻想/番田
仕方も変化するのかもしれない。アンディウォーホルのような人間が60年代のアメリカではない場所から生まれることは決してないであろうことが予想されるように、私が生まれ育った場所は日本で、回りには人や物が溢れていた。しかし70年代あたりを境にコレといった住空間の変化は見られなくなったといっても良いのかもしれない。国と国の特色といったものも境をだんだんとなくしてきている。日本と韓国の住空間の違いもごくわずかな物だろう。そのごくわずかなものが大きいのかもしれないが世界がネットなどを介して扁平な文化を共有しはじめて、多様性自体をなくしはじめているような気がするのだ。オリコンやビルボードのヒットが少なくなってき
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