人格スケッチ「偽善者」に見る「飽き性」/光井 新
 
らない、それどころかお金という物の存在さえ知らない私にとって、幸せといえば人の優しさ位しか思い当たらなかったのです。信仰心の薄い家庭に生まれ、神に祈った事も無ければ、仏を拝んだ事も無く、子供ながら一人の時に、まだ物心付いたばかりの自分自身を見詰める他ありませんでした。優しさとは何か、人に優しくされる事が幸せであるならば、人を幸せにする行為こそ優しさではないかと、夜眠る前瞼の裏に見る自分に訊ねては、朝起きて鏡の中に見る自分に確認をして、それから母と過ごす一日は長く手持ち無沙汰に幼稚な我が儘を言ってみても、物を知らず世間を知らずに大した欲も無く、母を満足に困らせる事もできないそんな時間の中で、母の笑顔
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