写真のこと/「Y」
 
をプリントしていない。つまり、写真をつくる行為を留保している。死んだ子犬の記憶は、ネガという物質に形を変えた状態で、一枚の写真として蘇生することのないまま、私の部屋の片隅に存在し続けることになるのだろう。
 
 写真を自分の手で作るようになってから、数年が経過している。近頃は、死ぬまで写真にこだわり続けていくのだろうという確信が日に日に強くなってきているような気がする。老いた者は、迫り来る自身の死を頭の隅に感じながら生きていく。私にとって、写真に思いを馳せることが、自身の残された生を感じ、やがて自分の身に訪れるだろう死を思うことである。

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