船/鈴木陽
 
長いこと思いをひそめていると、この場合も両極端は相通ずることが分かってくる。すなわち精妙極まる技術は、その産物に魔術的な価値を与えうるのである。絵画は我々にとっては、このような価値をもはや決して持ち得ない。この写真家の腕は確かであり、被写体の姿勢は隅々まで彼の意図に沿ったものである。にもかかわらずこの写真を眺めるものはそこに、現実がこの写真の映像としての性格にいわば焦げ穴を開けるのに利用したほんのひとかけらの偶然を、今この一瞬のものを、どうしても探さずにはいられない。この写真の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまった撮影の一分間のありようのなかに、今日でもなお、真に
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