純粋正義への架橋22/チャオ
 
をまいた僕に「超人論」が語られることによって、誰かの人生がいいほうに向かうことだってある。もちろんたまたまだろうけど

何のために走るのか?
何かのために走ってる。だけど、それの何かを問うことはできない。僕は問われているのだ。僕の命に。走る行為に。僕はそれを語りだすだけ。

誰もがそれに耳を傾けなくてもかまわない。
それはひとつの事実。

だが、誰かがこれで微笑んでくれればいい。

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