純粋正義への架橋17/チャオ
する。
がしかし、僕は思うのだ。西洋の哲学が一元論を得たように、歴史がさらに深みを増すにつれ、次第に老子の描いた世界が構築されることを。歴史はとどまらない。答えがなくとも、答えを構築することで、さらに遠くへ天才はいけるだろう。
中原中也は言葉を遠くへ飛ばそうとした。
内発する感情を言葉に託すことは、言葉の限界を超すことだ。
中也は批評に傷つき、批評に成長させられた。伝わらないもどかしさの極限で、安易な一元論に走らないこと。それが真の一元論への思想なのだ。
すべての欲望は、犠牲へと向かうであろう。だが、人々はそこから目をそむける。誰もが望むその事実を得るには、やはり時間が必要なのだ。僕自身、何も語られる権利は持ち得ない。それでも語りだすことでしか、やはりできない。無限の中に見出された、唯一の絶対的なものを。それをつむぎだすのだ。
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