詩人のシノギ(島崎藤村の巻)/みつべえ
に来ていた姪と過ちを犯し、関係を絶つためにフランスへ渡る。帰国後、1918年に「新生」。1929年に「夜明け前」。1943年(昭和18年)、大作「東方の門」の執筆途上で死去。享年72歳であった。
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さて、こうしてみると、島崎藤村のシノギは「学校の先生」のち「小説家」である。「若菜集」で有名になっても詩では食べていけなかったようで、同時代の作家、正宗白鳥は「自然主義盛衰史」のなかで次のようにかたっている。
「詩人島崎藤村が小説を書きだしたのは、彼の芸術観の変遷によるのであろうが、そればかりではない。実生活を顧慮したためではなかったかと、私は推察している。当時、詩では生活費は得られなかったのであった。新体詩というものは大抵無原稿料で雑誌などに発表されていたのだ。青少年の間に心酔者の多かった藤村にしても、作詩によって得るところはきわめて僅少であったようだ。」
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●若菜集(http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1508_18509.html)
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