純粋正義への架橋10/チャオ
れらはいついかなるときも、そうであらねばならないことを社会によって命令されてはいるが、それら自身が示すように、決していかなる場面でもそうであるとは限らない。
そういったものを真理と言えるのか、確かに疑問は残る。だが、ある場面ではやはり、それらは違ってくる。だが結局のところ、あまりに未熟な考えでさえ、一つの真理と言えるのだ。個人として存在することは、一つの社会として存在することと一緒であるのだから。
人のいないところに社会は存在しない。
僕らは、いびつで、不安定な真理を断言できるその瞬間のために、苦しんでいるのかもしれない。かくして、僕らは、一人の存在として社会の中で存在することを許されていくのだ
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