純粋正義への架橋3/チャオ
 
ってゼロにはなりえないのだ。まったくの不在。もしくは僕の実在。その選択しか与えられることはない。
 
 「君は誰かを助けるだろうか」

この短い発問それだけが、それに関する正義のゼロ地点となる。記号としての文章、形としての言語。伝達道具としての意味。それらのごく単純な存在こそが、ゼロ地点である。
 
 ゼロ地点とはいったいなんであるのか。それは純粋であり、客観性であるものだ。
個人を排除した、超第三者としての存在。完璧な権力。

 だが、事実上それらは同一に存在し得ない。権力にはすでに澱みがあり、個人を排除したところに、権力は存在し得ない。
 だが、それをもし、あきらめたとき、正義は存在しなくなる。完全なゼロ地点へと向かうか、または新たな歴史を創造するか。
 それが、発問に対して今、君が語ることのできる、君の答えとなる。
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