「スウプ」と「ちくわぶ」/渦巻二三五
 
たというのを明らかにしています。
『ハピネス』の方は、この場面の話者は、自分が「見ない」のではなく、それは見ようとしても見えなかったのだと言います。
見ないようにしていたのも、見ようとしても見えなかったのも、それぞれ理由は納得のいくものです。
けれども、ここにも、作者の世界との関わり方、世界と関わる自分について、が表されていると思います。

それにしても…それが、暴力に遭う場面であったのはなぜなんでしょう…
そのようなときにこそ、世界との対面の仕方が最もよく表れる、ということなのかもしれません。
(2003.5.28)




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