文体について、経験について/んなこたーない
ルを引用するだけの暇がないのだが、フランスの衒学的抽象哲学の類を連想すれば、
ひとによっては思い当たる節があるかもしれない。
ぼくは原文が読めないので、どういう翻訳の経緯を経ているのかよく分からないが、
日本語としては意味が不明なものも少なくない。それがまた衒学さに輪をかけている。
ところで、現代詩のなかには、こういった語法を取り入れているものも少なくない。
思えば、昔の文学者も哲学書を読まなかったわけではないだろうが、
その翻訳文の調子を自分の作品に利用することはなかった。
たとえばプロレタリア作家が、マルクスの日本語訳の文体に影響を受けていただろうか?
哲学が文学化したとみ
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