アウシュビッツの惨劇/円谷一
 
ガス室へは搬送されてこられたばかりの
 働けないと認定された人々以外にも
 軽い規則違反を行った者も
 SSの気分次第で送られた
 ガス室送りになる人々は全裸になり
 密封された空間で鍵をかけられると
 チクロンBを散布され
 藻掻き苦しみながら死んでいった
 ガス室で殺された人々は
 囚人達の手によって焼却所へ運ばれ
 焼却された遺体からは金歯が抜かれ
 金は延べ棒にされてドイツへと送られた
遺体の灰は肥料として利用されていたが
 ガス室で殺害される人数が増えると
 運び出された遺体は
 大きな穴へと投げ込まれ
 埋められて処理された


毎日惨殺が繰り返されたが
 ソ連軍が近付いていることを知った
 SS隊員達は強制収容所の存在を消す為に ガス室や遺体焼却炉を爆破した
 そして1945年1月27日
 ソ連軍がついにアウシュビッツを
 解放してくれたのである
 僕達は当時の悲惨さと教訓を
 決して忘れないように
 大切に後世に伝えている









(参考文献 ウィキペディア)
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