パソコン通信の思い出 2/渦巻二三五
課金を売るのをサポートする役目を負っていたというところです。
1995年の時点では時間課金があったので、メンバー数ではなくフォーラムのアクセス時間の総計に対して一定の割合で報酬がシスオペに対して支払われていたはずです。この頃、海外では「プロのシスオペ」という人がいて、人気の出そうな「フォーラム」(Special Interest Groupを略してSIGと読んでいたパソ通会社もありましたね)を複数作って人を呼び込み、それで食っていた人もいたと噂に聞きました。
「フォーラムって誰でも開けるものなんだ」ということを発見するまたは思いが至る人がごく少数だったので、シスオペはボランティアであるという噂
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