信仰随想。宗門と南無阿弥陀佛 。 /すぬかんながぐつ。 
 
たしの祖母の属していた団体の人がパブテズマ・洗礼とは本来川にその身を投げ込んで(投げ込まれてかな。)浮くか試したことからくるとかいっておられたがそこまでいかなくてもかみさまに身を委ねるとはそうした意味や気持ちを伴うものであろう。そういう立場では即身成仏とかそういうことはよくわからないけれど聖道の人はそんなことも考えるのだろうか。まあそんなことはわたしにとっては全く生活にかかわる話ではないがときどきなんとなくこの人のことあまりよくわからないなあと思ったとき意外とその人とわたしは家の仏門の宗派が違ったりすることに最近気がついた。それはわたしの発見というより友だちからの発見だったがなんかそれは現代において不可思議な気がしたのだ。家の宗派の宗教的儀式などあまり行われなくなった現在でさえそんなことが根付いているのかなとなんか不思議な気分がしたのでした。 
南無阿弥陀佛 。      



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